心というものは、万物を作る宇宙霊と通ずるパイプと同様のものです。本当に幸福に生きたいと思ったら、何よりも忘れてはならないのは、自分の生命に与えられた力は、素晴らしい強い力を持ってるということです。どんな場合でも、自分の中に宇宙霊の持っている分派分量をいただいている。そのためには、自分の心の持ち方を積極的にしなければならない。
いつも自分を客観的に見る。今思っていること、今腹が立っていること、 今身体が痛いこと、こういったことをすべて客観的にみる。そうすると、泰然自若、積極的でいられる。こういったことを常に意識し、習慣にすると本当に積極的に生きられる。
最近心の持ち方で、その人の素晴らしさがあると実感しました。年齢に関係なく、何かを目指している人は、いいきいいきした目を持ち、熱く、輝いている。若い人でも、目標を持っている人は素晴らしい。年齢がいっても打ち込んでいる姿は素晴らしい。自分自身もそうでありたい、思いが自然にできてる。そのままがいいと思います。私利私欲がなく、良心に即したそのままの行動。
当社のフィロソフィーは、不撓不屈の精神で、さらばひたすら思え、気高く強く一筋に
自分が正しいんだといっていても、真理に背いていては、運命のほうから、罰が与えられる。
人生の苦悩は絶対的なものでなく。不幸は、他からふわっとわいてくるように自分に飛び込んでくるものではないんじゃないでしょうか。、不幸というものは、自分が原因になっているということです。昔、熊沢番山という人がいました。憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力ためさんといった言葉、尊い自覚を持てば、一生憂きことはないということです。人の田畑を耕している小作人で、それでも、学問して偉い人間になりたいと思い与えられたものは少ない悩みも大きなものだったでしょうが、それを悩みとしなかった。考え方が、人生を不幸にもし、幸福にもする。人生の不幸は自ら産んだこととなるということです。今現在、連れ合いがなくなって、一人でいる。また子供がなかなか結婚しないでいる、家族に、病人がいる いろんな状況も、本人の考え方です、今あることに、少し感謝の気持ちこれが大事。
心の中に、絶えず高尚な積極的観念がある人 夢 目標 等が熱烈にあり燃え上がっている人。そういう人は、はたから見て不幸と見える、悲しそうに見えることが起きても、すべて良いようにして本人は幸福にしてしまいます。
人生をたとえ一分でも価値なく過ごしたり、自分の心に泥を塗るような悶えを感じたりするために、この貴重な生命を与えられたものでないということを、忘れずに、心の中に記憶して生きる。ちょいとでもくだらない時間を過ごしていることを恥ずかしく思わねばならない。くだらないとは、何もしないことでなく、喧嘩したり、怒ってみたり、悲しんでみたり、ねたんでみたり、憎んでみたりする時間がくだらない時間です。なにか腹が立って、人に何か言おうとしていたら、いけない価値なく過ごしたら、こういったストップかける習慣が大事です。
自分の心がある事柄を不幸と感じたから不幸になる。不幸と感じなかったら不幸にならない。不幸とか幸福だとか言うのは、その人の考え方です。考え方が人生を幸福にもし、不幸にもする。人生の不幸は自らが産んだということになります。どんな場合でも、恵まれているな、と感謝の気持ちで生きたいものです。
心の中に絶えず高尚な積極的観念が熱烈に燃え上がって生きてる人。はたから見て大きな不幸と思うようなものが、悲しみがこようが 高尚な積極的な態度で、美化、幸福化してしまっています
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