どんないい文章を見ても、どんないい光景を見ても、自分自身に本当に結びつかなければ、自分というものはただそれを夢のように喜んだだけで終わってしまう。したがってどこまでも現実の力のみです。現実に人生を固めていかなければならない。聖徳太子が、仏教を、百済から受け入れるとき、自力教と他力教がありました。他力教のほうが、何事も人の力で生きていこうとする時代の人間には歓迎された。自分自身に確固不抜の心があったら、宗教に頼ることはないのです。思い想像して、きれいな思いを、描き、できた姿を見ながら、積極的にに生きるこの人間になることが、元も大事なんです。
» 2017 » 9月のブログ記事
誰にでもある思いやりの優しい心、その心で一切の物事に接する習慣をつける。報われなんか求めない。思いやりの気持ちは、愛と誠の気持ちだから、それで人に接して、物に接するとき、自分自身に感じる快さ、うれしさというものは、もう形容できない。義務でするんじゃなく、楽しみにする。これを霊性生活という。朝から晩までというのじゃなく、ここでちょいと霊性生活をしてやろう。こんな具合に習慣付けるいいものですよ。ただ、誤解しないでほしいのは、本能 感覚 感情 理性の生活をしてはいけないのでなく、これしないでは生きていけない。それに執着しない。とらわれないということです。
宇宙は広い 星を見る 月を見る 見ている人の心はそれよりも広いわけです。川は、広い海につながっている、 人の心も、造物主とつながっている、人間だけに与えられた、この能力があることを認識することが大事です。このつながりを強くすることが、いい運命 成功 幸福 健康となるのです。それは積極的な心を忘れないことです。そうすることによって結び目は確保されます。反対に消極的になれば結び目は解け、悪い人生になります。人は偉大な能力を与えられ、その結び目をきっちりするこれが肝要です。
素直に聞く耳をもち、真剣に聞いてくれる人かどうかの見極めが大事です。若い方は、大半耳を傾ける人が多いようです。年をいった人は、それぞれ自分の考えが出来上がり、素直に聞く姿勢が少ない人が多く、そういった人に限っていい人生を歩んでいないように見えます。年齢は関係なく、素直に耳を傾け、教えを受ける態度は、人として大事な要諦です。
お風呂に入って体の汚れ、垢を取りきれいにします。これは普通のことです。そうすると心の垢を取っているか、これが問題です。消極的な思いがいっぱい潜在意識の中に残っている、これを掃除しなければなりません。それは睡眠です。その日あったことは考えず、何も考えないで眠る、それができなければ楽しいことを考えて眠る。こういったことを習慣化して、心の掃除をし、前向きな積極的なな自分を作るのです。
人生は死ぬまで色気 それが己の心から消えたなら、自分の生命を焼き場の扉のほうへ向けて生きてる人と言える。こういうと女の人なんか、私なんか相手にしてくれる人がない 何も相手を探さなくたって、その気をなくすなということです。
手近に親切な、先輩指導がいて自分を導いてくれるのは幸せでしょうが、しかし見方によれば、指導者のいないところこそ、自らの発展というものが考えられる、エジソンには指導者がいなかった、また世に出た成功者の大半は、自ら本とか、指導者を自分で見出し、積極的に行動したようです。下手な身近な先輩の意見より、世に成功した人の話、本からとってもためになることがあります。自ら開拓する気持ちがあれば、師は無数に存在します。
心を鎮め、 しじま 空の世界 何にも考えない時間こういった、冥想 座禅ときどきやることは大事と痛感しました。このしじまの世界に入ると、体のこと 悩みあらゆることから解き放され、健康で、いい運勢のみが自分によみがえり、自分が変わるのが体感できることが多くなるはずです。
今大変精神的にも、肉体的にも極めて健康です。理由はわかっていますが、常に積極的思考でいること、それとは別にある人から教わった二つのことがあります。豆乳ヨーグルト毎日口にしています。自分で作っています。それと、マナーズサウンドという、体全体の細胞を整え、活性化させてくれる、調和音のCDを毎日聞いています。今では習慣となり切り離せない感じになっています。
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