人は、3毒といって、貪欲 憎しみ ねたみ この三つがあります、 昔お釈迦様の話にありますが、ある旅人が、虎に追われ、逃げてがけまで来た、下は海で、どうしようもなく一本の木があり、そこに登る 虎も登ってくる。木のつるがありそこに飛び乗って、宙ぶらりになる。そのつるの先をねずみがかじっている もう絶体絶命になる。つるをゆすぶると、そこに蜂蜜があり、それがこぼれてきて実にうまい、必死にゆすって、その蜂蜜の甘さにに耐えられず、それを繰り返す。こんな絶体絶命のときでも、人は、甘さの欲望に吾を忘れてしまう。これが人の弱さであるといった話です。常に、自分を戒める意識を持つことも非常に、大切なことなんですね
宇宙から考えて、人がこの世に生まれ、旅立っていく、ほんの短期間の間、すべての動物 植物もせいいっぱい命の限り生きていますから、せめて、生まれたときより、ほんの少しきれいな心になって旅立つのは、意義あることと考えます。どうやって心をきれいにするか想うことを書いてみますと、まず仕事を誰にも負けないぐらいに、打ち込んですることでしょう。この道一筋で、スポーツ界 経済界、芸術 職人 すばらしい人間性の人がいます。死に物狂いで、必死に仕事に打ち込むことによって、心が磨かれたのだと想います。さらに謙虚で、傲慢にならないことでしょう。ちょっと成功すると、自分を偉く見せたがり、ひかえめな気持ちが少なくなるのが人の心です。さらに、常に反省する習慣を持つことです。今日の行いで、自分の損得で、物事を判断しなかったか、人として正しい判断をしたか、さらに感謝の気持ちを持つこと、 生きてるだけでありがたい 常にありがたいと想うことです。毎日、つらいこと、苦しいこと、憎らしいこと 出くわすことがありますが、これも、自分の心を鍛えてくれるきっかけと、感謝するんです、 楽しいこと ありがたいこと これも人の心は弱いもので、もっともっとと欲が出ます。もったいないありがたいことだと感謝するんです。さらに、人の喜ばれること、仕事でも、日常の生活でも、いいことをできるだけ心がけ実行しましょう。 こういったことで、少しはいい心になるんでわと考えます。
ここ数年で、不祥事を起こし、謝罪会見してるトップを見て、あきれてるのは私だけでしょうか、渡された、原稿を読んでるような棒読みの謝罪で、まったく心がともなっていない。心を打つこともなく。人間的な哲学も何も無い人物に見える。これも、学歴があり、実利的な人、実務的な人 会社の数字を業績にプラスになる、それのみで、その人物を、トップにしていく、こういった傾向が、道徳的に退廃し、子供も大人を尊敬できない風潮を作っている。小学生の子供に、正直であれ、 うそをいうな、人に迷惑をかけるな、こういって教わった子供が、尊敬できないことを、大きな会社のトップがやっている、人間的に、徳のある、本当の人物が、トップになる そういった世の中にならないといけない想う。こういったことをいうと笑う大人が意外と多く、なんと青臭いことを言ってるといった目で見る。しかし徳のある、人として正しいことのできる人が、各分野で、指導者となって、本当に、子供からも尊敬される大人になり、いい世の中になるんじゃないでしょうか、
日本では、リーダーの選び方の基本は、学歴 才覚 こういったものを押す傾向がある、選挙でも、地元をよくしてくれる才覚のあるもの、また親の地盤のあるものなど、ですから、官僚とか、 会社のトップなど、人物の徳があるとかを見ず 才覚 能力 学歴 等に重きを置いてきたことによる弊害が、いろんなところに出てきている。西郷隆盛の言葉に、功のあったもの、これには、禄 表彰を与え、 徳のあるもの、人としての立派な能力のあるものには位を与え、 こういった言葉があります。才覚 学歴 切れ者より、人として徳のあることをもっと、評価して、各界のリーダーにすることが、これからの時代を考えても大事なことと想います。
恋に生きれば 暖簾がすたる 泣くに泣けない 船場のおきて ここが辛抱と ここが辛抱と笑顔を見せりゃ 笑い7分に 涙が9分 残る1分が ど根性 意地を通せば 暖簾がゆれる 情け無用の 船場のおきて ここが辛抱と ここが辛抱と頭を下げりゃ おのれ7分に 商い9分 残る1分がど根性 涙流せば 暖簾が笑う 客が命の 船場のおきて ここが辛抱と ここが辛抱と そろばん持てば 元値7分に 売値が9分 残る1分が ど根性 この歌詞を思い出し、自分を鍛えたものです。
ある人が、本田宗一郎さんの講演に行ったとき、本人が、少し遅れて、作業着、油まみれで来られました、仕事の現場から駆けつけたようです。こんな高いお金を払って、話など聞かず、早く帰って、仕事をしてるほうがいいと、早く帰れといいました。皆びっくりしたようです。畳の上で、泳ぎをいくら教えても、身に着かない、水に放り込めば必死で覚える、それと同じで、仕事は、現場で体で覚えることだといいたかったのでしょう。わしなど経営の勉強などしてないが経営ができる。知っているのと、できるのとは違うということです。私も経験で、訪問販売 いわゆる飛び込み訪問といった経験がありますが、いくら、話を聞いても、本で読んでもだめ、現場で、たたかれてはじめて物になります。
人は、いつもときめいているのが幸せである。新しい仕事のアイデアがひらめき、できると確信できたときのときめき、 人との出会いで、この人とは、きっと縁がある、仕事にきっといい影響を与えてくれると、感ずるひらめきがあり、知り合いになる このときめき、また男女の出会いでも、会った瞬間に感ずるひらめき、そして、交際が始まるときめき、私と妻との出会いがそうでした、人生の醍醐味は、このときめきをいかに味わって渡るかに、あるようです。
考え方が正しくても、毎日、熱く燃えて、ど真剣にきることが大事です。人生のドラマを、自分で脚本し、自分が演じるわけです。どうせ演じるなら、日々熱く燃えて、真剣に生きる、これの積み重ねが、夢の実現となります。
福沢諭吉が講演で、仕事ができるようになる条件の話をしている、哲学的な思想 武士道のような清廉な心 役人のような知恵 お百姓さんの体力といってる、哲学的な思想と、清廉な心は考え方でしょう 役人のような知恵は、能力でしょう 体力は、それを使った努力でしょう 今に置き換えると、能力があっても努力をしないと伸びない、 能力があり、努力をしても、考え方がだめなら、一番始末が悪い、よく世間でにぎわした、悪質商法等がこれにあたります。一番大事なのは、能力でもなく、 努力でもなく、まず一番は考え方です。人として正しい判断のできる考え方を持つことです。
会社を起こし経営するとき、 いろんな場面で、判断する必要がある。そのとき何を頼りにするか、その折、原理原則を持っていることがいかに大切かである。まったく今まで経営したことが無い一代で独立する人も多いと想う。私もその一人です。原理原則は、単純なものでいいんです。昔お年寄りからよく聞かされた 人に迷惑をかけてはいけない、 うそを言ってはいけない 人に親切にする 正直であれ、人として間違ったことをしないことです。このようなことを経営の判断にするんです。私の尊敬するある社長は、役員が、定時に帰るのに、社用車を営業部長が使用していてないと憤慨していた、社長が役員を呼び、社用車は、会社の仕事のためにあるので、今部長が時間が無いくらい忙しく社用車を仕事に使っている、役員が定時に帰る事より、大事な仕事に使っているんです。そのための社用車だといったことを忘れている、慣れは怖いものですといった話がある。また社長本人が仕事の途中家に用事があり、家による、奥様も出かけるというので、途中まで乗っていけばというと、さすが立派な奥様です、公私混同はいけないと日ごろいってるあなたがなにをいってるのですか、あなたの個人の車なら乗っていきますが、社用車ですから、私は歩いていきます。常に人として正しい生き方を、基準に歩みたいものです。
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