常にできるだけにこやかな人生を生きて、何事に対しても感謝を先にして、喜びの人生を生きる。そうするとこの世の中が変わる。なんという、本当に明るいうれしい、光明の輝く世の中だろう、、宗教も何も信じる必要はない。人生は心ひとつの置き所。
人は出会いによって人生が変わります。いい心がけで、それでいて積極的に前向きに生きていると本当にいい出会いがあります。そして出会った時にわかるものです。神が出会わせてくれたのだと感じるぐらいです。そしてその出会いを大切にし、育み 決してその時の感動ときめきを忘れないことで、振り返っていい人生になったと人は思えるのだと痛感します。これは人との出会いだけではありません 仕事の出会いも同じです。出会いを本当に大切に 毎日の生活で慣れが出て、当たり前になるところに、人の心の弱い部分があり、せっかく出会ったときめきを忘れない この心がけがいい人生だったといえるか、言えないかの分かれ目です。私は時々思うのが、伊豆の踊子の出会いと別れの場面です。日本の美しい心音の見本に思えるんです。そんなわけで、私の新婚旅行は伊豆の踊子コースと結婚する前から考えてました、もちろん現実に、伊豆の踊子コースの新婚旅行に行きました、
毎日の生活で、今の自分の心の持ち方が、積極的か消極的か、検証した生活 人の話に同化して積極的考えを忘れていないか、また使用する言葉に消極的言葉を使ってないか、取り越し苦労をしていないか、自分の良心に照らして、良心に恥じない行動をしていないか、感謝 特に嫌なこと 辛いことを 大いなるものが教えてくれてると感謝しているか、 あとは明るく颯爽と 生きるだけです。
若いときに 目標を持つこと 夢を持つこと それを実現するところに、人生の意義がある。 そう思っていたが、65歳を過ぎてから、目標を持ち、それを実現するために、必死に生きる、むしろこれこそが最も大事と本日感じました、ほとんど何も目標がなく、老後の時間をつぶす生活、刹那的に生き 心が燃えていない。本当に、自分の人生を完成するため、最も必要なのは、65歳を過ぎてからの今である。心を磨く 絶好の時である 私利私欲を超えた、本当のいい人生であったと思うことができるのは、今の生き方にかかっている、これを感じ、精神を鍛え 肉体を鍛え 強く生きる 長く生きる そうしてよくやったと自分をほめてあげる人生を築くのである。
昨今を見ていて目につきます、自分さえ良ければいい 公衆道徳を考えず、歩きながらのタバコ、スマートフオンをする人 それが若い人だけでなく 老人にも意外と多いのです。最近起きている老人の交通違反 車を運転して子供を、死亡させる。これなんぞは、人として、成長なく、ただ年を重ねているだけで、世の役に少しは立っているのでしょうか、田舎のほうでも起きてる現象は、老人会に入る方が減ってる、人の世話をするのが嫌といった理由らしいです。生まれた時より、少しは心を浄めて、自分の人生を全うしたいものです。
朝起きて顔お洗う、歯を磨く ひげをする 仏壇に供え拝む 朝の挨拶をする これらは毎日の習慣となり何の苦労とは考えないでしょう。それでは、夢の実現 理想を実現するために、思うこと、暗示をかけること 強く長く生きることで、その実現が多くなるそのため、身体を鍛えること 食生活に注意をすること 自然に即した生活をすること 常に積極的な言葉を使うこと こういったことも習慣となれば苦労せず自然にいい人生を送れるはずです。
ありのままに我ある世と生きゆかば、悔いも恐れも何物もなし これが今の天皇が摂政宮殿下のとき、皇后さまが摂政宮妃殿下の時代、皇族の講師を拝命されたときに、お耳に入れた歌で、すぐに色紙に書いてくれと仰せになられた歌です。つまり霊魂のまんまの人生に生きていくとき、そこに何も悔いも恐れも、いささかも心を動かすものがない。こういった意味です。霊魂は、えらくなろうとか、賢くなろうとか、幸福になろうとか、もっと気楽になろうとか思ってやせん。そのまんまで、何にもそこに心を煩わせるものもなく、恵まれもしないかわりに、恵まれない状態もこない。つらいこともなければ、つらくもない。何でもない。ありのまんまの。そこには、煩悶もなければ苦しみも苦労もない。こういう状態で生きる人間にならなければいけない。なるのが難しいかと言えば、難しくもない。こういう人間になるほうが優しい。やれ感情で、やれ本能の欲望で、やれ理性的な気持ちで、こき使われるように追い回せる生き方が、はるかにはるかに負担が多い、煩いの多い人生です。もっと気楽な人生が生きられる自分ができるこういっています。中村先生の言葉です。
現代のような摩擦と刺激の多い時代に生きるとき、神経過敏という恐るべき価値のない人生が生まれやすいんです。ところが、ほとんど、神経過敏を考えませんし、気が付きません むしろ忘れて神経過敏が本来の姿のように毎日目まぐるしく生活しています。長く生き、強く生きる 何らの準備もなく、何ら努力もなく人間都合よく生きられるものじゃないんです。神経が過敏になれば、しょっちゅう生きる命を自分で知らぬ間に短くするように、削り取っているのです。だから、散々怒ったり 泣いたり 驚いたり あとで落ち着いてみると、あの時何もあんなに怒ることはなかった 今考えるとそれほど悲しいことでなかった こうやって考えてみると、あんなに驚いたのが恥ずかしい 神経反射の調整をとれないと、血液が酸性化して、臓器障害になりやすい、常に消極的から積極的に思考を調整して、切り替える方法 身につけ明るく前を見て進みたいものです。より強くたくましく生きるために
仕事でも 人との出会いでも、最初に感じて、ひらめいた気持ちは純粋で、尊くいつまでも大切にはぐくみ育て、そしてあきらめず、いつもその時の気持ちを反芻し、自分を叱咤し 途中であきらめない。ほとんどの人は、最初の気持ちをどっかに置き忘れ、毎日の生活となれで、心を熱く燃やした気持ちが色あせる、そして思いがどっかに消えていく、これが大半の人の姿でしょう。そこに、何が大切か、たった一度人生、せっかく出会っただから、精進し、打ち込み、いい人生だったと思える生き方、やはり、ひらめいた、初めてのときめき、これがなにより忘れてはいけないと思います。そのためにも、賢く、知恵を使い 精進し、熱く思い続ける これが一番大事と考えます。
商いを、考えるとき、よくどうなるかやってみなければわからないと、いった考えで、商いをやる人を見かけますが、これは一種のかけです。かけで商いはやってはいけないと思います、成功するといった確信が持てるこれがあって商いは成功します。必ず喜ばれる こういった確信が持てることに商いの成功があり、どうなるかわからないかけの気持ちでやるものではないと、思います。しかし意外とこういった気持ちで、商いを始める方が多いのが現状です。
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