柔らかく 温かく 清く うるわしい雰囲気が すべてのよきものを作り出す この言葉が昔から大好きで、美智子皇后を思い出させます。
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60歳代のある経営者が、禅宗の門をたたき、修行に入った。先輩について托鉢に回る、わらじを履き、足が棒になり、足元から血が出てきて、本当にくたくたのなり、お寺に帰りかけたとき、公園の掃除をしていた婦人が、ほうきを持ったまま、500円を、首から提げている袋に入れてくれた、このとき、60年間味わったことの無い感動を味わう、そんなに裕福とも思えないご婦人が、まったく、普通に、自然に、500円を入れてくれる、そのとき、神に見えたような心境だったらしい。人に喜ばれることをすることの大切さを身に持って味わい、自分が嬉しいことより、人が喜んでくれるほうがどんなに幸せであるかと心から想ったようで、それから仕事のほうも、まず。お客様に喜んでいただけることを何よりも大事にし、自分の喜びは二の次と考え、仕事に励まれてたようです。
現在、ただなんとなく生きてる人が多い、無目的というのでしょうか、会社で必要な人物は、自ら熱く燃える人です。燃えてる人がいるのに、まったくなびかない人、この人は会社に入りません、また燃えてる人に影響され少しやる気をだしてくる人、これも本当はいらないんですが、育てる余地はあります。それとは別に、維新の、久坂玄随 高杉晋作 坂本竜馬 吉田松陰 等は、目的に向かって、熱く命を燃やしています。生きるとは、やはり、熱く燃えて、志をなす。この人生か最高と想う。
時々行くモーニングにいく、喫茶店で、70代の人がほとんどですが、だいたいは、仕事はしていません、年金生活で、後は健康の話し、よく薬を持っている人もいます。その中で、数件のの蕎麦屋を経営していて、えらぶったこともなく、謙虚な人がいます。信州から中学を出て、お蕎麦屋で働き、独立して、何軒もの蕎麦屋を経営するようになったそんな人が、腰が低く、なれた仕事を、継続するのがむしろ一番楽な生き方で、店にくれば、あったかい雰囲気で、お客を迎えて、ほっとしていただきたいそんなことを言ってました。ずっと現役で働くつもりらしく、普通は、少しは経営者で、偉ぶったぶったところは多少あるはずですが、まったく無い 謙虚といったことを一番感じる人です。
人は、3毒といって、貪欲 憎しみ ねたみ この三つがあります、 昔お釈迦様の話にありますが、ある旅人が、虎に追われ、逃げてがけまで来た、下は海で、どうしようもなく一本の木があり、そこに登る 虎も登ってくる。木のつるがありそこに飛び乗って、宙ぶらりになる。そのつるの先をねずみがかじっている もう絶体絶命になる。つるをゆすぶると、そこに蜂蜜があり、それがこぼれてきて実にうまい、必死にゆすって、その蜂蜜の甘さにに耐えられず、それを繰り返す。こんな絶体絶命のときでも、人は、甘さの欲望に吾を忘れてしまう。これが人の弱さであるといった話です。常に、自分を戒める意識を持つことも非常に、大切なことなんですね
宇宙から考えて、人がこの世に生まれ、旅立っていく、ほんの短期間の間、すべての動物 植物もせいいっぱい命の限り生きていますから、せめて、生まれたときより、ほんの少しきれいな心になって旅立つのは、意義あることと考えます。どうやって心をきれいにするか想うことを書いてみますと、まず仕事を誰にも負けないぐらいに、打ち込んですることでしょう。この道一筋で、スポーツ界 経済界、芸術 職人 すばらしい人間性の人がいます。死に物狂いで、必死に仕事に打ち込むことによって、心が磨かれたのだと想います。さらに謙虚で、傲慢にならないことでしょう。ちょっと成功すると、自分を偉く見せたがり、ひかえめな気持ちが少なくなるのが人の心です。さらに、常に反省する習慣を持つことです。今日の行いで、自分の損得で、物事を判断しなかったか、人として正しい判断をしたか、さらに感謝の気持ちを持つこと、 生きてるだけでありがたい 常にありがたいと想うことです。毎日、つらいこと、苦しいこと、憎らしいこと 出くわすことがありますが、これも、自分の心を鍛えてくれるきっかけと、感謝するんです、 楽しいこと ありがたいこと これも人の心は弱いもので、もっともっとと欲が出ます。もったいないありがたいことだと感謝するんです。さらに、人の喜ばれること、仕事でも、日常の生活でも、いいことをできるだけ心がけ実行しましょう。 こういったことで、少しはいい心になるんでわと考えます。
ここ数年で、不祥事を起こし、謝罪会見してるトップを見て、あきれてるのは私だけでしょうか、渡された、原稿を読んでるような棒読みの謝罪で、まったく心がともなっていない。心を打つこともなく。人間的な哲学も何も無い人物に見える。これも、学歴があり、実利的な人、実務的な人 会社の数字を業績にプラスになる、それのみで、その人物を、トップにしていく、こういった傾向が、道徳的に退廃し、子供も大人を尊敬できない風潮を作っている。小学生の子供に、正直であれ、 うそをいうな、人に迷惑をかけるな、こういって教わった子供が、尊敬できないことを、大きな会社のトップがやっている、人間的に、徳のある、本当の人物が、トップになる そういった世の中にならないといけない想う。こういったことをいうと笑う大人が意外と多く、なんと青臭いことを言ってるといった目で見る。しかし徳のある、人として正しいことのできる人が、各分野で、指導者となって、本当に、子供からも尊敬される大人になり、いい世の中になるんじゃないでしょうか、
日本では、リーダーの選び方の基本は、学歴 才覚 こういったものを押す傾向がある、選挙でも、地元をよくしてくれる才覚のあるもの、また親の地盤のあるものなど、ですから、官僚とか、 会社のトップなど、人物の徳があるとかを見ず 才覚 能力 学歴 等に重きを置いてきたことによる弊害が、いろんなところに出てきている。西郷隆盛の言葉に、功のあったもの、これには、禄 表彰を与え、 徳のあるもの、人としての立派な能力のあるものには位を与え、 こういった言葉があります。才覚 学歴 切れ者より、人として徳のあることをもっと、評価して、各界のリーダーにすることが、これからの時代を考えても大事なことと想います。
恋に生きれば 暖簾がすたる 泣くに泣けない 船場のおきて ここが辛抱と ここが辛抱と笑顔を見せりゃ 笑い7分に 涙が9分 残る1分が ど根性 意地を通せば 暖簾がゆれる 情け無用の 船場のおきて ここが辛抱と ここが辛抱と頭を下げりゃ おのれ7分に 商い9分 残る1分がど根性 涙流せば 暖簾が笑う 客が命の 船場のおきて ここが辛抱と ここが辛抱と そろばん持てば 元値7分に 売値が9分 残る1分が ど根性 この歌詞を思い出し、自分を鍛えたものです。
ある人が、本田宗一郎さんの講演に行ったとき、本人が、少し遅れて、作業着、油まみれで来られました、仕事の現場から駆けつけたようです。こんな高いお金を払って、話など聞かず、早く帰って、仕事をしてるほうがいいと、早く帰れといいました。皆びっくりしたようです。畳の上で、泳ぎをいくら教えても、身に着かない、水に放り込めば必死で覚える、それと同じで、仕事は、現場で体で覚えることだといいたかったのでしょう。わしなど経営の勉強などしてないが経営ができる。知っているのと、できるのとは違うということです。私も経験で、訪問販売 いわゆる飛び込み訪問といった経験がありますが、いくら、話を聞いても、本で読んでもだめ、現場で、たたかれてはじめて物になります。
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