積極的思考で生きる、 きれいな心でいい睡眠をとる 言葉を選ぶ 知識と知っても実行が伴わなければ知らないのと同じです。しかし実行される方は極めて少ない、自分より優れた人を見ると、生まれつき天才に見える人だって、やりっぱなしでは成長するにつれて凡人になる。凡人といえども立派に修業を積んでいけば、驚くべき秀でた人間になる。すぐれた方法を知れば、あとは実行していくことが何より重要です。
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今まで、一切の感覚も感情も、理性も、心の動きすべてを主観的にとらえていたと思います。もっとわかりやすく言うと、自分の体が痛いとか、かゆいとか、不愉快だとか、腹が立つとか、悲しいとか、恐ろしいとかという感覚や感情、そのどれをも、今後は、痛みであろうと、怒りや悲しみや憎しみといった一切の感情を、ちょうど自分以外の人が感じているように、客観的に考えるようにする。つまり、自分の腹が痛いのを、、隣の人が痛いように感じるようにするということです。何でもいいから、自分のことを第三者の立場で立って考える習慣をつけるということです。こういう心がけを実行すると、自分の生命の道具である心や肉体と、本当の自分(気 霊魂)とを混ぜこぜしなくなる。こういった特定意識で、人生を生きてこそ、いつも頼もしい積極的な人生に生きられるんです。この特定意識を習慣にすることによって、不思議と言ってよいほど痛みや病の回復が早くなるらしいです。
何の準備もなく、何ら努力もなくて、人間というものはそんなに都合よく生きられるものじゃないんです。まして神経が過敏になれば、生きる命をしょっちゅう自分で知らざる間に短くなるように、削っているのと同じ結果が来るものです。ストレスというのは、フランスのハンス、セリエ博士が作った言葉です。これを解消する最高の方法があります。、インドで、ヨガ、哲学の中の一番階級の高い、ラジャとカルマ これは最高の精神方面のヨガです。(よくしられている、アクロバットみたいなヨガは、インド乞食のやる方法なのです。)クンバハカという方法で、苦しい修行に、強い肉体と強い心がなければできないんです。クンバハカという密法を悟らないと修業ができないんです。さて簡単に言うと、感覚なり、感情なりの衝撃、ショックを受けたら、急いで体の三か所を特別な持ち方をする。それは、肛門とおなかと肩です。腹が立つこと、心配なこと、恐ろしいこと、何かにつけて感情、感覚の刺激を心に感じたら、すぐの肛門締める。そして、おなかに力を込めると同時に、肩を落とす。この三か所がそうした状態にされた時に初めて感情や感覚の刺激が、心に感じても、神経系統に影響を与えないという、いわゆる影響を減ずる効果があるということです。自分の心は自分で守らなければならない。こんな単純な方法で、防げるんです。ありがたいです。
人間なんて、学生時代には、学校の勉強で骨が折れて、ようやく学校を終えたかと思えば、社会へ出て、今度は生存競争といういやらしいことで追いまくられる。そうして、いくら稼げど稼げど、貧乏神にしょっちゅう同居されていて、本当に恵まれた、和やかな日なんてめったに味わうことができないで、そのうえ油断も隙もない。ちょっと生活を誤ると、すぐ病を患っている。一生、生きている間、楽しいことより苦しいことが多いのが人生かとほとんど思っている人が多い。結局、心が人生を感じる感じ方でそのまま極楽になり、地獄にもなるわけです。心の中を掃除しなければだめなんです。心の中の掃除をしないで、汚れるままに消極的な観念をいっぱいためて生きていくと、安心した状態で生きられないんです。気が付かない間に自分の潜在意識の中に、この環境からの感化で消極的な観念を山と積んでいるんです。掃除しましょう。これから毎晩、心の中をお掃除する習慣をつけましょう。たとえ昼間どんなことがあろうとも、寝床の中に持ち込まない。寝がけには何も考えないほうがいいんです。世界一きれいな気持ちになりましょう。それでも考える人は、楽しいこと、うれしいことを考えて寝ましょう。そして昼間は、言葉に気を付けましょう、消極的な意思表示を言葉に出さないで、明るく朗らかで、活き活きとして勇ましい感じを自分も感じ、人も感じるような言葉以外はしゃべらない。これが心の意識を整理する方法です。
女性は、鏡に向かって化粧をされます。 もちろん鏡がくもっていればふきます。 顔はきれいにされますが、はたして心をどうでしょうか、ここが大事です。今考えていることは、積極的か、消極的でないか、こういったことを常のチェック 使っている言葉も積極的か、消極的かチェック もし消極的な言葉を使いそうになったとき、すぐ切り替える習慣 こういった些細な習慣が極めて大事なことで、いい人生に導くことになります。
健康 不健康 この原因も、人は、植物 果物を主食とした生き物として、この世に生を与えられているのに、動物性の食事を主として血液が酸性化した本人の食生活にある。 人もこの世にあるものすべて自然物でありますから、自然に逆らった生活をすると、身体に影響します。朝起きて、昼間活動して、夜眠る この自然の生き方が大事です。 心の持ち方として、消極的な思いを持たないこと、 取り越し苦労をしないこと 怒り 恐れ 悲しみ の気持ちを持たないこと 積極的言葉を選び、積極的思いで生活すること こういったことをしていないと、後悔する今の自分を作っている原因になります。いい自分を作るのも 悪い自分を作るのも、すべて、自分がなしたことなんです。
怒ったり 悲しんだり 恐れたりすると、血液とリンパが、みるみるその生命を完全に支えきれないように悪くなります。怒れば血が黒褐色に味わいが苦くなります。悲しむと茶褐色になり味わいが渋くなります。恐ろしくなると丹青色になり味わいが酸っぱくなります。血液本来の姿が消えます。血液本来の姿は、弱アルカリ性でなければなりません。弱アルカリ性である限りは、黴菌がただ入っても、決して人間は病に冒されないんです。心が消極的になると、血液が酸性化しますから、悪い血が流れているから、臓器障害 特に肝臓障害となり、肝臓の中の糖原質が異常分解し、糖尿病になりやすくなります。また胃が悪くなったり、腸が悪くなったり、怒ったり 悲しんだり 恐れたり こういった気持ちをうまく切り替える習慣をもち、生活しましょう
廃棄処分の商品を、スーパーで売っていた。これに似た話、有名企業でも種々出てきています。心が乱れています。常に霊性心で生きる。霊性より発する心が、本心 良心です。良心より発する行動が、正直 親切です。 こういった良心に恥じない行動をとり、私利私欲を離れた生活をこれからも大切にしたく思います。人間の心の中で、最高に進化した心を霊性心と言います。人が生きるための指針となるような良い話を聞きたい。人生の悟りを得られるような方法を知りたいといった欲望を霊性的欲望と言います。これが満たされた喜びは法悦と呼ばれ、人生における最高の喜びです。また自己の行動が、人のために役立った時の喜びも霊性的喜びです。正直や、親切を行った喜びも霊性的喜びです。こういった喜びを持つよう心掛けたいものです、
人が生まれる順序は、エネルギーの分派または気を入れる間脳という袋ができる それから神経ができ 臓器ができ肉体ができる 気という宇宙のエネルギーが すべての根本である。過去の人はこれを神とか 仏とか名付けたのでしょうが、心は肉体と宇宙のエネルギーをつなぐパイプなようなものです。宇宙のエネルギーとつながり強く結ばれると、それがどんどん入ってくるとき、健康で、いい運命のなっていきます。つながりがが緩むと、体が悪くなり、悪い運命となっていくのです。宇宙のエネルギーは絶えず生成発展しながら、創造のエネルギーを出しています。人に、特別の能力 潜勢力を与えたのは宇宙が、生成発展することに、協力してもらう意味があるんです。それは、万物の霊長と言わしめるのも、このためです。簡単に言うと、私利私欲がなく、世のため 人のため、喜ぶことを言い 喜ぶことをすることなんです。これが協力することになるんです。そのためには、消極的なマイナスの心を持たないこと、絶えず積極的な心を持つこと そうすると、プラスの宇宙のエネルギーとのつながりが強くなり、宇宙のエネルギーがどんどん流れてきて、健康で、いい生き方だできるようになります。ようは、積極的な思考で生活し、取り越し苦労 不平 恐れ 悲しみ 怒り こういった気持ちを持たず 常に言葉 今思っていることをチェックし、切り替えながら、毎日明るく颯爽と生きていく そして常に良きことが出来上がったことを描きながら生活することです。
少しむつかしい話ですが、分かってきました、肉体も心も道具なんです。気 霊魂 が自分なんです。分光器で見ると、人間の肉体の周りを包んでいる一つの気のあることが発見されたんです。みんなあるんです。七つの層をなして、色が七つになっている。この分光器は、東大に一つ ベルリン大学に一つ、コロンビア大学に一つあります。このなかに、いわゆる霊魂が存在して、、その気が我々の肉体を守っている間は生きられる。死というときは、この気と体が離れる。普段気が付かずにおるけれど、みんな自分の体をきわめて小さな波長で七つの層をなして包んでいる、それで肉体との結合が正確にできている時が、肉体も健康、また精神的にも堅固と言えます。これがあやふやになると、病をやったり、精神面でも薄弱になる。これも積極的に生きることということです。あるがままに生きるこれがいいんです。人に親切にしたほうがいいですが、親切にしようがための親切じゃないんです。やることの結果が親切なんです。孝行したいと思ってした孝行は第二義、やってることが孝行であって、本当の孝行 本当に楽しく感じるときは、楽しい気持ちがわいた時でなく、本当に楽しいときは、楽しい気持ちがわかないで楽しい・うれしいなって気持ちも、うれしいなと思ったときは、第二義 うれしいと思わなくても、本当にうれしいときはうれしい。
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