最近の私の心の持ち方に、変化を感じます。いろんな人との出会いがあります。楽しいこと 嫌なこと 悲しいこといろいろあります。どんな出会いでも、いい勉強になる、嫌なことでも、腹を立たず、心の修行になると思うそんな自分を発見しました。人との別れも、いい出会いであった、いい心の勉強になったと、つらい 腹立たしいと思う前に、いい思い出をもらった、いい心の修業の場を与えてくれた、こう思える今の私は確かに以前と変わりました。どんな出会いでも、なにかいいことがあったはずです。いいことに目を向けるこれがいい人生を闊歩する道です。
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もうのべつ、あれがああなったら、これがこうなって、これがこうなりゃしないか、というように自分の気持ちを苦労と同居してるようで、そんな人が多くいます。そういう人の運命や健康がいいはずがないんです。取り越し苦労をすると自分の命を削る大きな損害がくるんだと、知っておかなければいけないと思います。
ホームパージを見て、本当に誠意を感じ、メールで申し込むより私の声を聴きたかったと、当社の女の子が出ましたが折り返し私に電話くださいとのことでした。電話で話して、本当に喜んでいただき、商売人としてこんなうれしいことはありません。同じような内容の連絡がもう一つありました。このいまの心構えでいいと確信を持ちました。
心というものは、宇宙のエネルギーと自分の生命に通ずるパイプ同様のもので、どんな場合でも本当の自分の自我の中に、神の宇宙エネルギーが宿っていることを忘れず いいかえればそのエネルギーの分派をいただいていることを、おろそかにしてはいけないと思います。そのためにも、心の持ち方が積極的であれば、いただいた生命の力 エネルギーは逃げない。病の時、不運な時こそよりいっそう積極的にすることなんです。
経営者 スポーツ界 芸能界 若いときの成功で、ほとんどが後年狂った人生が目に余る今日この頃です。スポーツ界などは、サッカー 野球などほとんどが全盛期は、20代で長くて30代後半まででしょう。その時多額の収入を得て、人のうらやむようなぜいたくな生活が身に付き、人の寿命が延びている今、やめてコーチにつく人は一部で、あとは、別の仕事で、生きていかなければいけない、それができる人は極めて少なく、覚せい剤にはまったり、ギャンブル依存とか、家庭もうまくいってないのが多いようです。これは芸能界でも言えます。経営者でも一度成功すると、時代が移る波に取り残され、うまくいかなくなった人も多くいます。最も大事なことは、人格を作ること。これをを忘れた人は、私利私欲に走る人間となり、みじめな、老後を迎えるようになります。どういったいった時にも、心を磨く努力を忘れては、幸せな人生はないんです。
人間には、 本能と理性があります。しかし理性では本能を変えられません。 理屈では解っていても、できないこれが本当でしょう。こんなことを言ってはいけないと思うが言ってします。タバコを吸ってはよくないとわかっていてもやめられない、食べ過ぎもいけないとわかっていてもやめられない。わかっちゃいるけどやめられない。むかしこんな歌がはやりましたが、ほとんどの人がこうでしょう。きれいな心で寝る習慣、何も考えず寝るまたはいいことのみ考えて寝る こういったことで、心の掃除ができ、昼間の生活も、マイナスな言葉、思いは持たず、積極的な思いと言葉のみで生活する。こうしていていると自然と、気 霊魂から出る意志力がだんだん出るようになり、それを生活に取り入れられるようになってきます。仕事、生活にひらめきが出るのは、それでしょう。こういった意志力がどんどん出るように、良い睡眠 良い言葉 良い思い こういた生活をもっと心がけ生活することが肝要です。
いつでも夢をといった歌がある。今思えば本当にそうだと思う。若い人でも、夢をもってそれに向かっている人の話はすがすがしく気持ちがいい。救急救命士になりたいと頑張っている若者 警察官になりたいといった若者 パイロットになりたいといった若者、目に勢いがあり、実にいい。一方大半が何にもなく、ただその日を生きてる人が大半で、目に輝がなく、愚痴が多い、これは年を取った人でも言える、いくつになっても、夢を持ち、それに向かって、目が輝く存在でありたいものです。いつでも夢をです。
神経過敏な人は、たいして腹立つことでなかったことや、泣くことでもなかったことも、その時は些細なことが、倍にも感じる。神経過敏な人は、忍べばしのぶことも忍べないんです。お互いみんな助け合い。かりそめにも自分の気持ちの中に、あの人が憎いとか、気に入らないとか思ってはいけない。たとえ向こうがどう出てこようと、自分の気持ちの中をすさびたものにしてはいけない。だから、常にできるだけにこやかな人生に生きて、明るく颯爽と生きる。そうすると世の中が変わると思います。宗教も何にも信じる必要もなく、人生は心ひとつの持ち方です。
人生 仕事には、失敗があるものです。過去の自分の行いをなおすため、神は、失敗とか、病とか、といった形で知らせてきていて、命まで取らないとありがたいと感じて、生き方を見つめなおすことが本当の失敗とか、病のということのあらわれと思います。どんな偉大な仕事をした人でも、何の失敗もしたことがないという人はいないと思います。いろいろ失敗し、その都度何かを発見し、ついには自分の心に、立派な信念が生まれ、成長していくものです。
私の母は91歳です。 今大きな古い家で一人生活しています。 週末は私も帰ります。その場所は淡路島です。 私には、3人の子供がいて、娘二人は結婚してそれぞれ子供がいます。息子はまだ独身です。 私の妻がなくなり、淡路島に墓があります。 娘たちは家族を連れて淡路島に、お墓参りに行きます。その時母に、接待を受け、それを91歳の母が元気なのでどこか心の中で、当たり前のように思い、お昼を食べ、お土産をもらって帰ります。ここに一つの問題があります。帰った後、精神的に相当疲れていて、母が愚痴をこぼします。心の底から本当に世話になったという。感謝の気持ちが母に伝わらないのでしょう。それが伝わらないから、疲れがどっとでると思います。ふつうこの年齢では、何もせず。むしろ帰った娘たちが、お昼の用意をしてあげるのが本当なんでしょう。これからは昼を食べてからちょっと寄る。 このようにしないとむつかしいことになりそうです。私の妻ぐらいの年齢ですと、母にはに世話をさせてはいけない、そういった心配りがもっとあると思います。娘たちもあるのでしょうが、それが肝心の母に伝わらない、感性微弱な点があるように思います。世代の違いと言えばそれまででしょうが、自然にやっている行いが、相手の心に伝わり、感謝してもらえる、無理ない態度に、人はならなければいけないと本当に思います。心からありがたい、この気持ちを本当に持っていると、自然と相手に伝わるものです。それが、理屈で、こうすればいいかなこれではいけない。何かの機会に一度話してみるつもりです。
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