私自身を見てみると、心が本当に熱く燃えているんです。昔から、常に目標をもって、それをやり遂げることを必死に考え、熱く燃えてきたように思います。また、燃えていない自分が嫌なんです。生きてる感じがしないんです。そういった目で、周りの若者を見ていると、きわめて燃えて、目標を持ってやってる人はやはりほんの少数に見えます。目の前の、ちょっとして心地よさ、これだけで、特に人生をどう生きようかなど考えていないんです。その日その日がただ面白ければいい。そんな気持ちでしょう。私自身が毎日目標を達成を、心に描き、熱く生きてる それから周りの若者を見ると、情けなく、またもったいなく思える今日この頃です。
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運命なり健康なりが恵まれていない人は、人間としての本当の生き方をしていない結果なのです。原因なきところに結果はない。体が弱いとか、体は丈夫だけど仕事が思うようにうまくいかない。毎日の人生に豊かな気分を味わえない。みんな自分が蒔いた種に花が咲いたのです。それを気がつかないで、いや世間が悪い、なんとなく運命が巡ってこないと、考えているところに大変な違いがあるのです。いかに心を使うかです。習慣は第二の天性です。いい習慣をつけないと、天性が悪くなる 神経過敏になる くよくよくだらないことを思って煩ったり、悲観したり、失望するのも習慣です。
子供を殺す親 親を殺す子供、これが普通になってきている今の世の中、これらはなぜなんでしょう、戦後の苦しいときでも必死になって親子が助け合って生きてきました。私は考えるのに、現代の指導者に問題があるように思います、会社の経営者 特にマスメディアに携わる者の道徳観の欠如 全て儲け主義 テレビの番組 出版物、これに対して、子供の影響はどうか、きれいな心の子供に育つようないい番組を作る、 おそらく、最初にテレビなど、できたときは、どこか心に、美しい心が通うものがあったはずです。映画もいいものがたくさんありました、その時、いい監督がいました、また歌謡曲でもいい作詞家、作曲ががいました、指導者が問題なのです。
普段特に元気で、人を引っ張っていくような人が、ちょっと失敗したり、体が悪くなった時の落ち込み用、この落差を何人も見ています。どんなに普段強がっていても、むしろそういった人ほど、気持ちが落ち込みます。これは人間というものを腹の底から知らないといけないと本当に思います。人は、肉体と心を持ってていますが、これらは道具で、魂 霊魂 これのみが宇宙の気、エネルギーとつながっていてこれが本当の人なのです。このつながりを強くするためには積極的思考で生きる、こういったことを腹の底にもって毎日を生きることが大切だと思います。
ある経営者に言わせると、私は考えた商品ができなかったことはないんです。何事によらず、志を立ててことを始めたら、少々うまくいかなくて、失敗したというようなことで簡単にあきらめてしまってはいけないと思います。一度や二度の失敗でくじけてあきらめるというような心弱いことでは、本当に物事を成し遂げることはできない。世の中は常に変化し、流動していくものです。それにめげず、辛抱強く地道に努力していれば、新たな道が開けてきます。世にいう失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに原因があるのです。最後まであきらめてはいけないのです。
常にできるだけにこやかな人生を生きて、何事に対しても感謝を先にして、喜びの人生を生きる。そうするとこの世の中が変わる。なんという、本当に明るいうれしい、光明の輝く世の中だろう、、宗教も何も信じる必要はない。人生は心ひとつの置き所。
人は出会いによって人生が変わります。いい心がけで、それでいて積極的に前向きに生きていると本当にいい出会いがあります。そして出会った時にわかるものです。神が出会わせてくれたのだと感じるぐらいです。そしてその出会いを大切にし、育み 決してその時の感動ときめきを忘れないことで、振り返っていい人生になったと人は思えるのだと痛感します。これは人との出会いだけではありません 仕事の出会いも同じです。出会いを本当に大切に 毎日の生活で慣れが出て、当たり前になるところに、人の心の弱い部分があり、せっかく出会ったときめきを忘れない この心がけがいい人生だったといえるか、言えないかの分かれ目です。私は時々思うのが、伊豆の踊子の出会いと別れの場面です。日本の美しい心音の見本に思えるんです。そんなわけで、私の新婚旅行は伊豆の踊子コースと結婚する前から考えてました、もちろん現実に、伊豆の踊子コースの新婚旅行に行きました、
毎日の生活で、今の自分の心の持ち方が、積極的か消極的か、検証した生活 人の話に同化して積極的考えを忘れていないか、また使用する言葉に消極的言葉を使ってないか、取り越し苦労をしていないか、自分の良心に照らして、良心に恥じない行動をしていないか、感謝 特に嫌なこと 辛いことを 大いなるものが教えてくれてると感謝しているか、 あとは明るく颯爽と 生きるだけです。
若いときに 目標を持つこと 夢を持つこと それを実現するところに、人生の意義がある。 そう思っていたが、65歳を過ぎてから、目標を持ち、それを実現するために、必死に生きる、むしろこれこそが最も大事と本日感じました、ほとんど何も目標がなく、老後の時間をつぶす生活、刹那的に生き 心が燃えていない。本当に、自分の人生を完成するため、最も必要なのは、65歳を過ぎてからの今である。心を磨く 絶好の時である 私利私欲を超えた、本当のいい人生であったと思うことができるのは、今の生き方にかかっている、これを感じ、精神を鍛え 肉体を鍛え 強く生きる 長く生きる そうしてよくやったと自分をほめてあげる人生を築くのである。
昨今を見ていて目につきます、自分さえ良ければいい 公衆道徳を考えず、歩きながらのタバコ、スマートフオンをする人 それが若い人だけでなく 老人にも意外と多いのです。最近起きている老人の交通違反 車を運転して子供を、死亡させる。これなんぞは、人として、成長なく、ただ年を重ねているだけで、世の役に少しは立っているのでしょうか、田舎のほうでも起きてる現象は、老人会に入る方が減ってる、人の世話をするのが嫌といった理由らしいです。生まれた時より、少しは心を浄めて、自分の人生を全うしたいものです。
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